浜田の祭り(八幡八雲神社)
浜田地区の祭りと上清水のお天王さん(八雲神社)の神輿
浜田地区には3つの神社、3つのお寺があります。
3つの神社は 1087年構築 上清水八幡神社(相殿 八雲神社)(岡のお天王様)
氏子町内 上清水町、横浜町、上清水第二、片羽町
1609年構築 西宮恵比寿神社(貧乏恵比寿)大祭10月20日
氏子町内 島崎町、旭町、相生町、巴町
1751年構築 上一丁目八雲神社(上町のお天王様)大祭8月第一土曜日
氏子町内 上一丁目
浜田地区外の神社に属する自治会は淡島町の淡島神社(相殿 虚空蔵尊)(入江岡町、浜田)
富士見町の水神社(万世町1丁目、2丁目)大祭6月15日
美濃輪町の美濃輪稲荷神社(松井町) 大祭3月15日
日本の神社の大半は東または南向きに建てられていますが、島崎町にある西宮恵比寿神社は西を向いて
います。他には桜橋町の文珠稲荷神社は北向きです。
又、お寺は3つ、古い順に 1496年構築 上一丁目の専念寺
1531年構築 上清水町の禅叢寺
1532年構築 上清水町の慶雲寺 があります。
今日は、浜田地区の神社、お寺の中で一番古い上清水八幡神社と、この神社で行われる祭りについて
話したいと思います。
上清水八幡神社は、10等級神社(1~15級)祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)のちの15代
応神天皇であり、1087年 源 義家(みなもとの よしいえ)が観請(かんせい)したという武神
の社(やしろ)です。
風害、火災により社殿、神賓(シンヒン)(神社の日誌、記録)等を焼失したが、1672年に4代将軍
徳川家綱の意を受けて再建し、1884年に拝殿を増築した。
この神社の通称を岡のお天王様と言います、上清水、下清水、入江岡は砂丘の上にできた町(丘)と呼んだ
事から岡のお天王様と言います、神社の氏子は、現在の自治会名では、上清水町、上清水第二、横浜町、
片羽町の4町内と過去には岡地区にある桜が丘町、青葉町、西高町と広範囲であった。
神社の祭りは、昭和初期(1930年頃)までは、毎年6月15日に神輿渡御と仕掛け花火で賑わい、
10月15日の秋の五穀豊穣を祝う大祭(お日待ち)と2回であった。
6月15日の祭りは現在、諸事情により、清水港祭りの翌週の金曜日に前夜祭、土曜日に本祭り、
神輿渡御を行っている。
ここからは、八幡神社の相殿(アイドノ) 八雲神社の祇園祭(神輿渡御)について話します。
八雲神社の祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。
神仏習合によって祇園精舎の守護神であった「牛頭天王」(ごずてんのう)は「素戔嗚尊」に習合
された為、天王と呼んでいた。
神社社殿の前には魔除けの狛犬があります、一対の獅子の像で、向かって右が「あ」左が「ん」
万物の初めと終わりを指しています。
神輿は神様の乗り物、祭りで担ぐ神輿は、音読みで「しんよ」ともいいます。
人を担ぎ上げる場合、御輿で みこし です。
輿は通常、担ぎ上げて移動する物、御を付けて御輿、さらに、御を付けて御御輿(おみこし)と呼ぶ
静岡市清水区には現在、大小合わせて21基ほど神輿があります。
1990年以前から担ぎ継がれている神輿は5基、それ以外は1990年以降にイベント用、祭り用
として作成された物が大半です。
神輿の中には御神体(神様)を入れて担ぎます。
神輿には色々な型があります、樽神輿、正方形の神輿、八角形の神輿、屋根が尖った神輿と様々です、
神輿の上には鳳凰と言う鳥が乗っていますが、では、鳥が乗っていない時の神輿の前後は何を見て決め
ますか、この鳳凰を入れる箱(露盤)には、向かって正面(鳥)後ろ(亀)右(龍)左(虎)の彫刻があり龍と虎が
右向き左向きの方向が前になります。
この露盤は神輿によっては無い神輿もあります。
さて、神輿全般の話から、上清水八雲神社の神輿と神輿渡御について話します。
初代の神輿は、1870年頃(明治初期)には神賓記録には祇園祭で担がれていたが、作成日は
不明である。
二代目神輿は1895年に作成され、1945年 第二次世界大戦により焼失しました。
尚、初代神輿は二代目神輿の完成と同時1895年8月に上一丁目八雲神社に寄贈しました。
現在の神輿は1951年に千葉県市川市の浅子神輿店(第15代浅子周慶)によって製作されました。
当時の神輿本体の価格は、435,000円、現在の価格で 4,350万円です。
1951年から1960年頃の神輿渡御は、登り旗、引き太鼓、猿田彦(天狗)、神官、子供神輿、
大人神輿の行列で行っていたが、現在は登り旗、引き太鼓、子供神輿が午前中に渡御し、午後から
猿田彦、神官、大人神輿が渡御します。
1955年頃には夜になると八丁廻りと称して江尻、清水銀座方面へ神輿を担いで出向いた
喧嘩神輿で有名でした、この時期に神輿を痛めた事等で1963年から1983年まで20年間
大人神輿は神社の倉庫に眠っていましたが、1983年8月に復活しました。
氏子総代からの復活の条件として、酒、アルコールを飲んで担がない、神輿を落とさない(地面に
神輿を着けない)の条件を守って現在も渡御しています。
1993年には600万円をかけて修復(オーバーホール)をして現在も担いでいます。
神輿の総重量は約500㎏ 最小80人で担ぎ、交代要員を含め130人で担ぎます。
神輿の掛け声は「御天王様よ」「御神輿様よ」の掛け声です、これは祭神、神輿の中に入っている
神様 素戔嗚尊(すさのおのみこと)を天王と呼んだことからです。
神輿を担いで走る時は「ヤートコー」「ヤッサ」「ホラコイ」と掛け声を変えて担ぎます。
一般的な掛け声は「ワッショイ」が多いようです。人の和が大切で「和を背負う」の意味
がある。
もう一つは御守りです、昭和初期(1930年)にはビーズの御守りをして神輿を担いでいます
昔は毎年、祭り前に自分の御守りは自分で作成していました、現在は作成出来る人も限られ、
前に使った物を毎年使っている人が多いです。
神輿は14時20分に神社を出発し、日の出の東を向いてから上清水町、上清水第二、片羽町、
横浜町、上清水町と渡御し、20時30分最後は日の入り西から神社に入り境内で約一時間
練った後、拝殿内に納めます。
この神輿渡御の特徴の一つは、神輿を拝殿内に納めて終わる事です。
拝殿の鴨居と神輿の隙間は30センチほどです、納める時は勢いよく「ヤッサ」「ヤッサ」の
掛け声で入れますが、役員は尚且つ、慎重に神輿が鴨居に当たらない様指示をして無事終了
します。
現在、少子化によって4町内の子供神輿の担ぎ手が少なく、子供会自体が無くなっている町内も
あります。
祭りを運営する者として、町内に子供が一人になっても、子供神輿は町内をくまなく台車に乗せ
渡御してくださいと、自治会にお願いしています。
少子化は大人神輿にも波及し、年々大人神輿の担ぎ手も減少と高齢化が進んでいます。
4町内以外の子供さん、大人の方も応援で神輿を担ぐ事があると思います。
人が少ないから大変だから止めますは簡単です
1963年から20年間のブランクを取り戻すには、大変な努力がありました、今でも影響は
あります。
上清水八雲神社、上一丁目八雲神社と同じ八雲神社、8月の神輿渡御と言うことで交流を深め
互いに将来の事を考え協力して祭りの運営に当たっています。
私達は、後世に祭りと神輿渡御を伝承し、祭りを絶やさない為にも、浜田地区の祭りとして
地区全体の人達が祭りに参加してくれる事を望んでいます。